鳥井文庫とは / 鳥井諒二郎プロフィール / 鳥井文庫リスト / お問合せ
鳥井諒二郎プロフィール
(明治42年)大阪にて出生
旧制第六高等学校入学(年度不詳)
京都帝国大学医学部入学(年度不詳)
京都帝国大学マンドリンフィルハーモニックオーケストラ(マンドリン・指揮者)
京大交響楽団コントラバス奏者
京都プレクトラムソサイエティー主宰
京都帝国大学医学部卒(年度不詳)
(昭和15年)大阪発絃楽合奏団創立(昭和16年)京阪神マンドリン・ギター連盟結成
(昭和16年)応召、22年復員
(昭和28年)京都マンドリンソサイエティー結成
(昭和43年〜50年)日本マンドリン連盟関西支部初代支部長
(昭和53年)7月18日 逝去
小児科医。明治42年大阪、北浜の著名な証券会社経営者の次男として出生(長男は夭折)旧制第六高等学校(岡山市)在学中にマンドリンと出逢う。
中野二郎によるメッセージ
(日本マンドリン連盟関西支部機関紙「ぺんなーた」 昭和53年9月15日号(鳥井氏追悼) 抜粋)
私にとっては、プレクトラム音楽を通じての旧友で、いまだに御交際を願っている数少ないお一人で遡れば昭和六年以来のおつきあいである。
殊に十数年前から私が同志社大学マンドリンクラブに赴くようになってからは、京都に行く度にお逢いしていたと云ってよい。
直接私が連絡しなくても、いつの間にか学生と連絡がとれていて、その日は必ずと云ってよいほど練習場まで出向いて来られるので私の方が恐縮して了った。
私も初めの頃はよくお宅にお邪魔し御所持の資料を拝見し、コピーさせていただいたものやら、頂いて了ったもの等沢山ある。
昭和初年の音楽界のプログラムやチラシのようなものまで、丁寧にハトロン紙の封筒に入れて保存されていることにはびっくりして了った。
かのラビトラーノの晩年の作数曲を発見したのも鳥井氏の所であった。
お手紙も随分沢山頂いた。旅先からはいつもお便りがあったが、時に細かい御質問やら、研究的な御意見を例の小さい文字で細々と認められたものも数頂いている。
近藤晃弘 元日本マンドリン連盟関西支部長によるメッセージ
(同上資料 抜粋)
鳥井先生は(昭和)43年日本マンドリン連盟発足以来初代の関西支部長として一方ならず支部の基盤造りにご尽力なされ、
会員相互の親睦を第一義として、吾々老人組や中堅の活動家、又新進の方々と積極的に交流の場を設けられたり、
数多くの演奏会へはよく奥様とご同伴でお出かけになって温い励ましをなされ、又連盟他地区の行事にも必ずご出席されて親交を深められました。